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微食生活?

さて、「食べずに生きられるかも」という発見から、ぼちぼちではありますが、「微食生活」に移行しつつある・・・はずの今日この頃。

確かに、自分がどれだけ無駄に食べていたのか!
と気付いただけでも、量はぐんと減らせます。

基本一日2食、そのうち1食は軽~く、スナック程度。
夕食は家族との食事なので、同じものを食べるけれどこれまでの量から半分くらいに。

そうだなぁ・・・一日の総量でいうなら今までの半分~三分の一くらい?

とはいえ、もともとすごい小食の人もいるわけだから、これはあくまでも今までの私の食べる量と比較して、ということですが。(自分はすごいよく食べる人です、ちなみに。)

一定期間続けると胃が小さくなるのか、とりあえずこのくらい減らしても、ものすごい空腹感は感じません。


ただ、やはり「食べる」という行為はものすごく「感情」と直結してるということを実感します。

あと、「習慣」。

ちょっと忙しかったり、パソコンの前に長く座っていたりすると、

「あ~、疲れた~。何かつまみたい~。」

という欲求がふつふつと。

夜の一人お夜食タイムとか(笑)。


だから、この「感情体の食事」というのが、どれだけ自分の食事量の中での割合を占めているかによって、全体の量の増減が変わってくる気がします。


そしてもちろん、ただ量を減らすだけじゃなく、やることはやらないと!

・・・とりあえず、呼吸法とか、メディテーション、アファメーション・・・

自分の感覚で「これは必要かな」と思ったことを、今は適当にやってみている感じですが。



そしたら先日、久しぶりに近所に住むお友達と偶然会って、この「微食」話に。

なんと彼女も少し前に、ふと「食べるの減らせる」感覚が沸いてきて、断食みたいな「微~食」をしばらくやっていたと。

ところが、、、

思いっきり自己流で進めていたら、ものすごい解毒作用なのか何なのか、死にそうなくらいのありとあらゆる症状が発症して、しばらく引きこもっていたと!

発熱、皮膚の発疹、体の異常なむくみ、だるさ・・・などなど。

「いやいや、私はもともと虚弱体質だし、何のフォローもしなかったからなんだろうけど、それにしても自己流は危険だわ~。」

・・・とのことです。


私はといえばこの数年、というか十数年、病気らしい病気もないし、まあ、普通に健康という認識があるにはあるのだけれど、これだけ怖い話を聞くと内心、「解毒・・・やだな・・・」と思ったのは事実。

確かに、彼女はいろいろと敏感体質だし、「私はヨガとかもしてないしね~」と言っていたけれど、食事には気をつけている人だし、肉魚がんがん食べるタイプじゃないし。
でもそこまですごいの出ちゃったんだ!

急激な変化はこのような事も起こりえると、聞いておいて良かったかも。


ジャスムヒーンさんの本にもありましたが、移行期間(準備期間)というのが必要ですよ、とのこと。

最低でも5年間はベジタリアンであること とか。
1年目に肉を止め、2年目にビーガンになり・・・6年目にプラーナのみに移行、とか。


とりあえず、やはりやることはやりながら、続けていかないとな~、と。


それにしても、料理が楽~。
買い物が楽~。
お財布にもやさしい~。

しかし、ついつい作りすぎてしまって、「捨てるのもったいない!」を理由に食べたい以上に食べてしまうことが時折。

この、作ったものを無駄にせず、バランスとるのが結構大変かも。

あと、満月前は気持ちが揺れる(笑)
まだまだですわ・・・


「リビング・オン・ライト」本文より

 光によって肉体を維持するプロセスを体験している人々は、宇宙の生命力、「気」のエネルギーにアクセスし、それを吸収し、直接細胞のなかに取り込む能力を開発しました。
これはマインドをマスターし、「宇宙の共鳴の法則」を自在に操ることによって起こります。
いい換えれば、プラーナの栄養によって生命を維持することを自ら期待し、意図することによって可能になるのです。
 これは、信頼して身をゆだねるプロセスです。宇宙の光によって生きられるように、より高次の波動レベルに同調することなのです。



しかし、こんな人もいるくらいですからね。


70年断食の印ヨガ聖者、科学者も仰天2010年05月10日 20:00 発信地:アーメダバード/インド

インド・アーメダバード(Ahmedabad)の病院で、国防省研究機関の医師団による観察を終えて会見する自称「70年間断食」のプララド・ジャニ(Prahlad Jani)さん(2010年5月6日撮影)。(c)AFP/Sam PANTHAKY



【5月10日 AFP】70年前から食べ物も飲み物も摂取していないという83歳のインド人ヨギ(ヨガの聖者)について、体の仕組みを15日間にわたって調査したインドの科学者たちが、観察期間が何事もなく終了したことに仰天している。

 ヨギのプララド・ジャニ(Prahlad Jani)さんは前月22日から、インド西部アーメダバード(Ahmedabad)の病院に缶詰めにされ、医師30人によって24時間態勢で15日間にわたって観察された。

 期間中、ジャニさんは一度も飲食せず、トイレにも行かなかった。インドの生理学関連研究施設「DIPAS(Defence Institute of Physiology and Allied Sciences)」のディレクター、G. Ilavazahagan氏は、「実験期間中、(ジャニさん)が液体と接触したのは、うがいと風呂の際だけだった」と声明で述べた。

 観察期間を終えた神経学者のSudhir Shah氏は、記者団に「(ジャニさんが)どのように生き延びているのか、わからなかった。何が起きているのか、まだ謎のままだ」と驚きを表明した。

 Shah氏は「ジャニさんがエネルギーを水や食料から得ていないのであれば、周囲からエネルギーを得ているに違いない。エネルギー源が日光の可能性もある」と述べた。「医学専門家として、われわれは可能性から目を背けてはならない。カロリー以外のエネルギー源があるはずだ」

 ジャニさんの観察調査を実施した国防省傘下のインド国防研究開発機構(Defence Research and Development Organisation、DRDO)は、数か月以内に詳細な研究結果を明らかにする考え。兵士たちが飲食をせずに生き延びる方法や、宇宙飛行士への応用、さらには自然災害で閉じこめられた人びとが生き延びる方法などに応用できるかもしれないと期待を寄せている。(c)AFP/Rajesh Joshi
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by kamakuraecolife | 2012-09-28 22:48 | 健康

贈り物

数年前、東京で行われたダライラマ法王の講演会に行ったときのこと。

司会をしたとある女優さんが、講話が終わったあと、ダライラマ法王に挨拶をしたとき、首にスカーフをかけてもらっていたのだけれど、最後の司会の挨拶の場面で、おもむろにそのスカーフをさっとはずして(どちらかというと、かなり無造作な感じで・・・)壇上に上がったのをみて、ちょっとビックリしたことを覚えています。

彼女が慌てて壇上に上がった姿から、そのスカーフを外すことが彼女の中では「自分がいただいたものを見せびらかすような行為をすまい」という、仕事モードに入ったことによる一瞬の判断だったのだと、私は勝手に理解してはいるけれど、

ダライラマから首にかけてもらったスカーフを、あんな風に無造作に外すなんて・・・

私なんてこの人生の中で、ダライラマと直接対面することはもちろん、あんな風にスカーフをかけていただけるなんて、起こりえないことなのに、、、

いいなぁ~、

という、羨みの気持ちがあったからでしょう、妙にその場面が印象に残っていたのでした。。。



ダライラマ法王、この不思議で神聖な存在が、この地球上に「在る」ということが、どれだけ世界のバランスを保っていることか。

ただ、どうやらこの「ダライラマ」としての転生が、これで最後になるという話も・・・?
(マヤ暦の終了やら、2012年のもろもろのことが、このことにも関わっているのかしら?)


とにもかくにも、私にとっては、この輪廻転生を体現した存在が公に認められている、ということだけでもチベットという国は特別な意味があり、そして、法王の数奇な人生が、(そしておちゃめなキャラクターが)この現在にも進行しているということの不思議さ。

スピリチュアル的にも、チベットは昔から特別な場所とされています。

そういえば、「ハトホル」さんたちも、チベットのラマ層たちと深いつながりがあると言っていました。。。



さて先日、めでたく誕生日を迎えた私。

娘と二人でささやかなお祝いをしていたその晩、ヨーロッパ出張中の旦那さんから画像つきのメールが。


「今日、近所に最近できたチベット料理屋さんに入ったら、ダライラマの写真を飾ってあったので、妻の誕生日のプレゼントにと、その写真をとらせてもらったら・・・」

「その法王の写真にかけてあったスカーフを、お店の人が誕生日のプレゼントにと、くれたんだ!」



!ものすご~い間接的ではあるけれど!

写真の法王からスカーフもらっちゃった~!(厳密にはお店の方ですが・・・)


「求めよ、さらば与えられん。」

この言葉は真実だ。。。
(このレベルで解釈してよいのかしら・・・)




しかも、このブログを書こうとして発見!なんと、11月に法王が那覇に来ると!!!


なんというか、なんとも言えません。
でも、現実は面白いゲームになっています。
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by kamakuraecolife | 2012-09-13 13:57 | スピリチュある?

食べずに生きる?

しばらく前から、なんとなく、だけれど、

「もしかして、食べないでも生きていけるんじゃないか」

という思いが、頻繁に頭の中に浮かんでくるようになってきていました。

夏になると例年食欲が激減し、3~4kgくらい減ってしまうのが定番みたいになってはいたけれど、秋の気配とともに体が脂肪を欲するようになり、夏場以外はこの15年ほど、高校生の頃と同じ体重で安定してはいます。
ただ、ここ数年食べる量はずいぶん減ってきていました。
(でも、体重自体は変わらない。。。なんでだろう?)

歳をとると必然的に小食になる人が多いから、自分もついにその前哨戦に来たのか!?という感覚もありつつ、
もっと違う意味で「食べる」という事について、感じるようになってきたから・・・。


なんちゃってベジタリアンからマクロビオティックを始めた18年前、あの時も「ベジタリアンになろう!」と決意してなったとかそういう感じではなくて、しばらく、

「もしかして、お肉って食べなくても生きていけるんじゃないか」

と、漠然と感じ始めたことがきっかけでした。

理由がはっきりしていたわけではないのだけれど、学校の健康診断で、やせているのに血液内の脂肪が多いとか、血圧が異常に低くて献血もできないとか、今で言う「未病」みたいな状態だったことにびっくりして、そんなに栄養偏ってたの?と、初めて食べ物の質、みたいなものを意識するようになり、、、

それがいわゆる「栄養学」で言われてることってホントなのかな?とか、じゃあ「ベジタリアン」っていう人種はどうなってるんだ?とかいう疑問につながっていき、それが

「お肉ってもしかしていらないかも?」

という思いに結びついていったような、そんな記憶が甦ってきました。


そうこうしているうちに社会人になり、新しい仕事場のボスが生まれて初めて会う「ベジタリアン」(魚介は食べていたけれど)だったことから、試しに自分も、と、お肉抜きの食事に変更。

最初のうちは食事から単に肉を抜くだけだったのが、「肉抜き食」を始めたとたんにマクロビオティックに出会い、一気に「肉・魚・卵・乳製品・砂糖」抜きの食生活に転換。


あれからはや18年。

厳格なマクロビオティック食にはまっていた時代あり、魚・乳製品は時々、、、という時代あり、ここ数年は、結構安定したマクロビ食に近い感じかな?

ちなみに我が家、
旦那さんがお魚も食べないので、娘も食べない。
なので家でお魚を調理する機会もない。

以前は外食で時々つまんだりしていたけれど、ここ最近は娘が魚がどんなものか理解できるようになったため、「なぜママだけ魚食べるの?」と混乱させないよう、娘の目を盗んで?ホントに年に2、3回の頻度になっています。
というか、外食そのものをほとんどしなくなってしまった。。。
今ならマクロビ食とか、ベジタリアン向けの食事をみつけることも、以前ほど困難ではなくなったから、あえてお魚選ぶ必要もなくなったからという事もあり。

でも、実際は、以前のように「たまにはお魚食べたいな~」と感じることがほとんどなくなってしまったというのもホントのところ。

乳製品に関しては、時折、私の永遠の好物、「スコーン」を食べるとき、無性に「ミルクティー」が飲みたくなってしまうので、牛乳は月に1回とか2回とか、少々口にする機会あり。
バターも同様・・・時々無性にあの味が恋しくなることが・・・
バタートースト~。娘の前では食べられない~。(涙)

バターには大反対(?)の旦那さんも、自分がチーズの国出身で、体がチーズで育ってしまっているため、結構、これに関しては登場回数多いかも?
高いからちまちま食べてるけど。。。
(沖縄では近所で手に入らないから食べない・・・)

そして卵・・・
娘のご馳走。
やはり、子どもにはたまらないでしょ~。あれは。
特別な時だけ、ふた月に1回とか、娘を喜ばせるため「たがも」を購入することがあります。
「わ~い、たがも~~」と嬉しそうな娘をみて、ちょっと可哀想に感じることもなきにしもあらず。。。

だけど、私自身、あの卵の味が以前より「生々しく」感じるようになってしまい、「時々食べたいかも」という感覚がここのとこ激減。
なんだろ、あの「濃い」というか、「みっしり」した質感は。

そんなわけで、人生の半分近くは肉食魚食で生きていた私と違い、娘は生まれてこのかた肉を口にしたことはなく、(厳密にいうと、2歳のころ一度間違ってから揚げ食べたことがある。)魚に関しては、どうも「臭いが・・・」ダメで食べる気はないらしい。
出汁とかは、知らずに飲んでたりすることもあるけど。ただ「臭う」とダメみたい。

牛乳も私のミルクティーを拝借したことが数回あるけれど、いわゆる「牛乳飲みました!」的な経験はなし。

この間、お呼ばれで久々に、いわゆるカスタードクリームたっぷりのケーキをいただき、私なんて「わ~、久しぶり~。おいし~。」と喜んで食べていたのだけれど、「ケーキ~♪」と、食べたいモード全開だった娘が、カスタードを食べ始めると、「甘すぎて食べれない。。。」と。
私よりもお砂糖にも敏感になっているようで。
マクロビっ子だ。

そんな7歳児、いたって元気。病院にもかからず、風邪もひかず、体格は身長も平均以上。中肉。

実家の親はいまだに心配してますが・・・可哀想に、と・・・
理解して、という方が無理なのは重々承知。

18年前は親どころか、日本の社会に「ベジタリアン」「マクロビオティック」の認知がほとんどなかったから、ほんとに隠れキリシタン状態でつらかった。
今なんて、もう全然カミングアウトできちゃうから、それだけでもありがたいことです。


まあそんな状況の我が家で、旦那さんは時々数日の断食なんかをやってましたが、私はどちらかというと、普通に健康だし、食べることをわざわざ止める必要がどこにあるの!と、断食には一切興味なし、でした。

玄米だけの半断食ならやってはいたけれど、全く食べずにいるなんて無理無理、という感覚でいました。我慢はいやなのよ~、と。
かといってグルメなわけでは全然ないけれど。
むしろ素食大得意。食べるのも作るのも(笑)


そんな私がなぜかここ最近・・・

(前置き長すぎでした。)

「この、食べることに使っているエネルギーを、もっと別のことに使えたらいいのに・・・」とか、

「これだけ食の安全性に問題がある社会になってきているってことは、やっぱり何かを変えていかなくてはいけない時期なのかも」とか、

とにかく、今まであった、「食べなきゃいけない」という感覚が、なんだか不自由に感じてしまう気すらしてきてしまっていたのです。

そうすると、必然的に、

「もし食べなくても生きていけたら???」という妄想がわいてきて、その自由度がとても魅力的に思えてきて。。。


感覚としては、あの「ベジタリアン」に移行していった前段階に似てる。

「もしかして」、なんだけど、結構確信に近い「もしかして」。


インドのヨギが何年も食べずに生きているとか、日本でも青汁だけで生きてる人とか、「非食」なんて言葉を聞くようになったりとか、会ったことはないけれど、確実に「食べずに」または「ほとんど食べずに」生きている人たちはいるらしい。

この間友達にも、「もう長いことベジタリアンだから、そろそろ光合成で生きられる体になってるんじゃな~い?」なんて冗談を言われて、案外ありえるかも、なんて思っていたりしたら、、、

ここで登場しました、


「リヴィング・オン・ライト」あなたもプラーナで生きられる
ジャスムヒーン 著


いましたいました。風の噂には聞こえてきていたけれど、ここにいました。
う~ん、欧米では思った以上にかなりの数の人たちが、ここにアクセスしていたんですね。

断食とは違います。
「プラーナ」の栄養によって生命を維持する、のです。


これは面白い。しかも、私が漠然と思っていた「食べない」観(?)が、ここにはきっちりと説明されている。

「食べるか食べないか」が問題なのではなく、
「食べない」選択を、「それって不自由だね」と言われるのとは全然違う・・・
深い、人間という生き物に対する洞察、そして気付きに基づいた体験と真実が書かれてあります。

「食べなくてはいけない」という習慣、制限から自由になれるという、これこそ選択の自由なのだということ。

「自分の現実は自分で創造できる」という意識に至る、自分自身に対する究極の信頼。

今まさに、自分が漠然と目指して歩いている(と思っている)道の途上に、必然的に現れた道しるべのような・・・


そして今この時期に、この考えを素通り(回避)してしまうことの出来ない意味が、きっとあるように感じるのです。

放射能で汚染された食物を避けるため、わざわざ遠くの食べ物を調達することへの違和感。

「健康になるため」に、貧しい人たちが手に入れることのできない貴重な植物を、お金で「買い取る」ことに対する違和感。

もしも将来、この地球に食糧危機がもたらされたとしたら(一部の国ではずっとその状況が続き、他国でもすでに現実化しつつありますが)、国と人と食物を奪い合うことになるのか?その争いに直接的に自分はかかわるのだろうか?という違和感。

そんな風に自分自身が今感じている違和感も、このことが解決の方法となり、もっと自分のマインドに正直にいられる可能性を感じさせてくれるのです。


お肉を食べないという選択も、これはあくまでも私の個人的な考えだけれど、犬や猫はかわいいと感じるのに、牛や豚を殺して食べることに何の違和感もないのだとすると、その方が率直に、不思議だと思うのはおかしいのかな?とか、

世界中に飢えて死んでいく人が沢山いるのに、美食を美徳とする文化を当たり前に受け入れるのって、それは何か変じゃないのかな、とか、

それに関して人がどうこうじゃなく、自分にとって、自分の気持ちに正直であることのほうが、楽だという選択の延長線上にある。
しかも自分の健康にも、地球の環境にもいいのだったら、誰にも迷惑かけないし、いいよね?的な。

昔のように、生き物の命をいただくのなら、しかるべき理由と、敬いの気持ちを持っていただく(多分、ちょっと昔にはそういう儀式みたいなことはもっと自然に行われていたと思う。)のであれば、理にかなった行いだと思えるけれど、機械の一部のように生かされ、殺されて肉の塊となってショーケースに並ぶ生き物たちは、やっぱり「かわいそう」に思えてしまう、その感覚が奇妙なものとは、自分は思えない。。。

子どもの頃は、もっと率直にそんな風に感じていたのに、「お肉を食べなくては、お魚を食べなくては、卵を食べなくては、」という教え?のもと、違和感すら感じなくなってしまっていた。

だから、大人になって「ベジタリアン」という生き方が可能だと知ったとき、どれだけ自分が自由を感じたか。
「食べない」選択があるなんて、知らなかったから。


そして今、本当に「食べない」選択があると知ったことが、何かあの時の自由な気持ちを再び甦らせてくれた・・・気がしているのだけれど・・・


このところ、ずっと「ブループリント」「聖なる青写真」「ライトボディ」という言葉が自分の周りで頻繁に現れてきたのだけれど、この本の中でも、頻繁にその言葉が使われていました。

自分が生まれてくる時に、この生き方を「青写真」として持って生まれてきたのかどうかを検証してください、と。


さて、自分はどうだろう?

今、考察中。

だけど、これはなんだかワクワクする。

私は「頑張る」とか、「無理する」ことが出来ない性分だから、これがホントに自分の「ブループリント」にあったことならば、そうなるだろうし、そうでなければ、そうならない、それだけの事だとも言える。

これが自分にとっての「自由」になるのなら。



でもまあ現実的に考えてみると、、、

沖縄のように「気」の溢れた自然の中と、暖かい気候の場所でなら、そして外食の誘惑もなく、限りなく質素な食生活を続けられるだけの不便さがある今の生活環境なら、これは問題なく進めるかもしれない・・・

だけど・・・

次の引越し予定地は極寒の北国。(体が脂肪を・・・温かい食べ物を・・・)

再び誘惑だらけの都会生活。(新しい土地なら人付き合いもあるでしょう・・・)

子どものご飯は毎日作らなきゃです。(味見はしても食べないでいられるのか?)


その上、やっぱり小心者の私としては・・・

ベジタリアンになったとき、お肉屋さんの友達ができたら何て言おう・・・と悩んでいたけれど、今度はもっと難しいぞ。

飲食店の仕事に十数年かかわってきた自分が、「食べない」って、それは・・・
茨の道に足を踏み入れるような行為かも。

それを理由に、やはりこれは保留か・・・?


って、この本をホントに理解したら、こんな自分に対する言い訳の必要もないことは承知しております。


すべての固定観念を手放す。


それは、マクロビ的な教えであっても、今まで生きてきた人生で培った、と思い込んでいる自分自身の常識であっても・・・


自分自身が新しく生まれ変わるくらいのインパクトのある跳躍。



今この時代、地球自身が成長しているのだという事実、これを素直に受け取ることができたのなら、自分たちがおかれている状況が10年、20年前とどれだけ違っているのかは容易に感じることができるでしょう。

人間の脳はたった五分の一程度しか使われていないという事実を知っているなら、私たちがまだどれだけ多くの可能性を秘めた生き物であるのか、ということを想像するのは難しくないでしょう。

だから、すべてのことは可能だと、それは心のどこかで感じている。信じている。


既成概念を打破して生きることを・・・いえ、自分自身の本質をもっと追求したいと思う人は、是非読んでみてください。



本文より抜粋

この旅を始めてみようと思う方に理解していただきたいことがひとつあります。
私たちを制限するものは、唯一自分自身の観念であることを。
私たちは、自分の人生を最大限に生きるための現実を生み出す能力やチャンスをたくさんもっているのです。
もし自分の可能性を100%生きていないとしたら、自分の望んだ人生でないとしたら、たぶん自分の観念を見直し理解し直す必要があるでしょう。
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by kamakuraecolife | 2012-09-01 23:53 | おすすめの本