ノマド的

鎌倉から沖縄に引越しするとき、ずいぶん沢山のモノを処分した。

結構物持ちがよくて、というか捨てられない性格で・・・なんやかんやと独身時代から持ち越していたいろんなモノたちを引越しのたびに移動させてきたのだけれど、、、

今回は、なんだかいろんな意味で「身軽」になりたいという衝動があったのと、いつでもどこにでも動ける準備をしておきたいな、と、思ったから。

311の地震が大きなきっかけになったのは確か。

沢山の人が犠牲になり、家を失い、今だに仮設住宅住まいを強いられていたり、避難生活を送っていたり・・・

当たり前にあったものが瞬時にして失われるという経験、私には起こらなかったことだけれど、ある意味、あれは意識の上で自分にとっての「確固たるもの」が目の前で崩壊していく経験でした。

好きなモノに囲まれて、快適な住環境を手に入れる為にお金や時間を使った時代もあったけれど・・・
あの311の後には、そんなことが何だかちっとも大切に思えなくなってしまった。

もっと、生きていく中で自分にとって本当に大切な「何か」を、
「モノ」に置き換えて忘れてしまっていた「何か」を、今取り戻さなくては、という感覚かもしれない。

思い出のいっぱいつまった家具たちも、今までの自分なら、手放す時にちょっと感傷的になったり、「やっぱりこの子はおいとこ!」と気が変わったりするハズだったのだけれど、

むしろ「スッキリした」という感覚だったのには自分も驚いた。

あの椅子、いつも私の定位置を作ってくれてたよね~、とか、
あのチェスト、初めて東京に出てきたときから一緒だったよな~とか、
あえて余韻を味わおうと色々と思い返してみたけれど、ほとんどそんなセンチメンタルな気分は盛り上がらずじまいだった。

モノに愛着を持つのと、執着するのとは、今までの自分に区別はなかったけれど、今は客観的にその違いを理解できるようになった気がする。



沖縄でも、必要最低限の家具はとりあえず小ぶりで組み立て式のもの限定。
ダンボールの代用で済むものはとりあえずそのまま。(布くらいは被せてごまかしてますが。。。)
クローゼットもそのまま持ち運びできるように、衣装ケースに変更。

これで次の引越しはラクチン!

と思った矢先、どうやら本当に引っ越すことになりそうな。。。

しかも海外?



鎌倉に戻って再び荷物の整理。

捨てられなかった写真も大量処分。

思い出の子供服も、もういくらなんでもね、とあきらめ。


家具も必要最低限、重くない小ぶりのものを数個を残し、ベッド生活も止めて国内だろうが海外だろうがこれからは布団!

移動式生活の準備完了!?


とはいっても、本、捨てられないんだなぁ~・・・

これでも三分の一くらい思い切って処分したんだけれど、今回もしホントに海外となると、日本語の本が手に入りにくくなる・・・

そう思うとうかつに処分できない!

あの、電子書籍・・・どうもなぁ、情緒がないというか・・・手のひらに電気製品、落ち着かない・・・
電磁波は大丈夫なのか!?とか、目にも優しいとは思えないし。。。
でも、これだけの本の山をみていると、ちょっと考えてみたほうがいいかも、と思い始めたり。

大好きなお洋服、、、特に子供服も難しいジャンルだけれど、沖縄に行ってから、今までのお洋服が通用しないこともよくわかったし、前と違ってある意味、単なる趣味だと割り切れるようになった部分も。
ちょっと前はかなり「執着」に近いものがあったんだけれど~。
(だって女の子服、小さいとかわいいんだもん!でも、もう、子どもも小さくなくなっちゃった・・・)
このところ買い物もそんなに楽しくなくなっちゃったし。


友人の中にはホントに家を処分して、家族で世界放浪に出かけていったいさぎよい人たちがいたり、沖縄で出会った人たち、最低限のモノだけで質素に生活してる人たちもいる。

この間出会った親子は、ほとんどモノを持たず、全国をいきあたりばったりの状況で旅していた。。。ホンモノのヒッピーだ。

さすがにそこまではできないけれど、なんだか物質的な「重さ」から少々開放されて、精神的にも「軽く」なれた気はする。


溜める、のはよくないよね、と改めて感じたり。

モノも思いも、執着しちゃいけないよね。

わかっていてもそう簡単じゃなかったりするけど。


前に、「話す」と「放す」の音が同じなのは偶然じゃないよ、という話を聞いたけど、そう、「話す」ことは思いを「放す」ことでもある。

日本人が結構苦手とするジャンルだったりする。

だけど、これからは出来るだけ、「放し」て行きたいと思う。
(垂れ流しにならないように気をつけなきゃだけど。)
家の中も心の中もゴミ溜めにしないように。


さて、身軽になって、根無し草的な性格がまたムズムズと活動する時期を迎えたのかもしれません。

ノマド的人生。

どこで生きても、どこで死んでも、自分は自分。魂の旅は永遠だから。
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by kamakuraecolife | 2012-08-24 21:55 | 沖縄生活
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