荒波の中で目指すもの。

鎌倉に戻り、いろいろなことを考えました。

原子力発電所の状況は、決して改善しているとは思えません。

友人知人の中には、せめて子供だけでもと、家族が離れ離れになって疎開生活を続けている人たちがいます。

海外に一時退避した人たちも、戻るタイミングを判断しかねているようです。

ニュースから流れてくる情報に耳を傾けていると、どうしても頭の中には「最悪のシナリオ」がよぎるのです。

今ここにいることは、最善の選択なのだろうか。
もしかすると、別の可能性を探す、という選択もあるかもしれない・・・

そんな迷いが正直、頭の片隅に常に存在していたこの数日間でした。

それぞれがそれぞれの立場で真剣に、自分と家族にとっての最善の選択をしようと、今の状況を見守っています。

何が正しくて何が間違っているとかいうジャッジではなく、たぶんだれもがこんな状況をつきつけられたことはない初めての経験の中で、進むべき方向を手探りしているのでしょう。



最悪の事態を想定したなら、子供だけでも疎開させる、という選択もあるのかもしれない、それは常に頭から離れない、ひとつの選択肢ではありました。

でも、結局、今私は、家族とここにいることを選択しました。

私たちにとって、家族がばらばらになるという選択は、最後の最後の手段でしかないということ。

旦那さんは仕事をほったらかしにはできないし、

私も鎌倉でやりたいこと、やらなくてはいけないことが山ほどある。

何より、ここには友達がいる。

鎌倉で友達の笑顔を見て、話をしていると、ここには、これからの未来につながる希望がある、ということを、はっきりと確信したのでした。


九州へ向かう新幹線の中で感じた、人の怖れ、というものの呪縛から解き放たれた瞬間の感覚が、忘れられないのです。

それは人の「思い」というものの「重さ」を、物理的に、強烈に感じさせられた体験でした。

「負」は「負」の連鎖を生む。

そして、「正」は、「正」の波動を広げる。


今自分が前向きに、やるべきことをやっていける環境があるのなら、それが自分にとってのベストな選択なのだと、ようやく吹っ切れた気がしました。

ただ、もしも最悪の状況が起こったときには、冷静にそれに対応できる、心の余裕は常にもっていなくては、と心に留めつつ。


これは極論といわれるかもしれないけれど、人は生きなければいけない理由があるならば死ねないだろうし、死ぬ時がきたならば、どこに逃げようがそこから逃れることはできない。
自分に与えられた今の「生」を、ポジティブに捉えられなくなってしまったとしたら、それは「死」んでいるのと同じことなのかもしれない。

人によってその基準はそれぞれ違っているのだから、それぞれがそれぞれの判断を下すしかないのでしょう。

だれも自分と家族の命の責任はとってはくれないのだから。

今何が起きているのかということは、きっちりと把握しながら、判断を他人任せにせず。。。






そんな昨日の朝方、印象的な夢を見ました。


私は、濁流に飲み込まれようとしている一艘の、小さな船でした。

海は大きな渦を巻き、船は飲み込まれようとしています。

その時、男の人の声がしました。

「流れに乗る、ということは、流れに飲まれてしまう、ということではない。」

「濁流に飲まれたとしても、自分の進むべき方向を見失わず、最善の努力をしなさい。」


船は木の葉のように波間をゆれながら、せいいっぱい舵を切り、渦から逃れようとしていました。


目が覚めたとき、そうか、と、すごく腑に落ちたのでした。

「流れに乗る」ということは、怠惰な気持ちで、あきらめの気持ちで選択するものではない、ということ、それを忘れるな、と念をおされたんだな、と。。。


今の私にできること、それは、「原子力発電所はもういりません」という意思表示をしっかり示すこと、そして行動を起こすこと。

日本を、地球を、核の「死の灰」で埋め尽くそうとしているこの子供じみた「火遊び」を、志を同じくするみんなと力を合わせて阻止していく、ということ。

私たちはこれ以上、人の命を危険にさらして、一部の人だけに負担を強いるような不公平なエネルギーに頼った生活を、続けていくべきではないのです。

それにはいろんな犠牲が伴うかもしれません。

でも、もう十分すぎる教訓を、私たちは得ているはずなのです。

チェルノブイリの事故のように、永遠に終わることのないいたちごっこを、子供や孫や、そのまた孫の世代にまで強いるような無責任な失敗を、二度と繰り返してはいけないのだと、世界中の人が認識しなくては。



ペットボトルに詰まった水をみながら、「水の惑星」といわれた地球を、自分たちがどれだけ汚してしまったのかという事実に愕然とします。

こんなことはずっと前から警告されてきたことだったのに。

本当に、本当に、ごめんなさい。
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by kamakuraecolife | 2011-03-30 01:55 | 東日本大震災
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