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神様はどこに?

この話には結論はありません。

ただ今、自分が考えている事の途中経過。
自分自身で確認したくてつらつらと書いているだけです・・・

とりとめのないお話です。。。



ここ最近、キリスト教関連の本を読みあさっています。

すごく、気になるのです。

いったい、イエス・キリストは本当は何を語ったのか?

ということが。


2012年にマヤ暦が終わってがどうのこうの・・・ということを色々調べているうちに、なんだか結局、

「いったい誰が本当の事を言っているのか」

という究極の疑問に、自分でなにかしらの答えをみつけたくなって。。。

キリスト教やイスラム教の預言にはじまり、ノストラダムスやエドガーケーシー、スウェーデンボルグ、ネイティブインディアンのシャーマン、日本の日月神示などなどなど(ちょっとオカルト寄りですけど〜)・・・

どうして誰も彼もが未来の人類の滅亡みたいな事を言っているのか。

冗談で言うはずもない事を、沢山の人たちが異口同音に語っているわけだから、何かしらの真実がそこにはあるはず。

そう思って調べていたら、結局、キリスト教にたどり着いた・・・
というか、出戻っちゃったのでした。

世界で一番の有名人(?)、イエス・キリストが、そのことについて、本当は何を語っているのか、

それはローマのカソリック教会が発表した事じゃなくって、本当の真実はどこにあるのか、ということ。

キリスト教徒じゃなくても知ってる

「最後の審判」、ハルマゲドンの真実は!?ってこと?



ちなみに私はどの宗教にも属していませんが、
強いて言うなら、実家は浄土真宗。。。

おじいちゃんおばあちゃんが仏壇の前で
「南無阿弥陀仏、なんまんだ~」と唱えているのを子供の頃から耳にしていたので、一番親しみがあるのは本当なら親鸞さんの教えなのかもしれませんが、、、

大学はプロテスタント系だったので、ミサやらキリスト教学などが必須だったため、知識としてはキリスト教の方が、理解できているのかも・・・?

でも、学生時代を過ごした場所では近所にカソリックの教会があって、なんとなく、あのカソリック独特の雰囲気が自分的には親近感があったり。


ちなみに旦那さんは一応カソリック。
でも本人は、
「家はカソリックだけどね、一応。でも神道のほうが親しめる。」

などと言っている、いわば無宗教の人。

さて、私は死んだらどこのお墓に入ればいいのでしょうか?
(できれば海にでも撒いてもらいたいところですが。)


そんなことはさておき、

一言で「キリスト教」と言っても、プロテスタントやカソリック、そしてそして、詳しくはないけれどアドベントとかメソジストとか枝分かれがあったり、時々家の玄関を叩いて雑誌なんかを下さる方々の宗派(?)もある訳ですよね。

「新約聖書」「旧約聖書」のどちらを聖典とするかによって、ユダヤ教やら正教会やら、はたまたイスラム教も関わってくる訳ですから、いったい、なんでこんなややこしいのか!

ということが、昔から謎のままだったのです。

しかも、「神様」って、基本的に「いい人」なんでしょ?と子供の頃は単純に思っていたのに、大人になるにつれ、その事すら疑問に思えて来た。

なんで、宗教が理由で人が殺し合ったり、戦争になったりするのか。

人が幸せに、みんなが仲良く生きて行くために必要なものが「宗教」であって、傷つけあったり、いがみあったりするためのものじゃないはずでしょ?

いったい、宗教って、何のためにあるの?

神様って誰!?


学生時代にも、キリスト教学がきっかけで、ちょっぴり勉強したりもしたけれど、結局解らずじまいに大人になってしまった。

そして宗教に対する不信感はつのるばかり。。。

世界中の紛争の種が宗教に関わりのあるものだったり、
宗教がらみの犯罪や、詐欺やら、なにやかや。

ローマのカソリック協会の性的虐待事件なんて、いちばんあってはならないはずのことでしょう?

いったい、人は救いを求めて宗教に帰依し、本当に救われているのか???


だいたい、私は「グループ」に所属するのが昔から苦手だったので、この「宗教」という、見えない囲いみたいな物に近づけなかったのかもしれない。

学生のころはいつもなんとなく、女の子の「グループ」感覚についていけず、あっちこっちをふらふらしていて、なんだかいつも居心地悪かった。

かといって、その感覚を宗教と一緒にしちゃいけないのかもしれないけれど、なんとなく、どこかの「グループ」に所属してしまうと、そこから離れられなくなる束縛感みたいなのがいやで・・・

宗教も、宗派によっては
「私たちの教典はこうです。だから他は信じません。」
みたいなかたくなさに、何か違和感を感じるし・・・

え~と、単純にみんなが仲良く、って、前提があればいいんじゃないかな、それじゃ駄目なのかな、なんて、馬鹿みたいに思ってみたり。

だから、大人になって特定の宗教に改宗した人の話なんか聞くと、いったいどうやって、他じゃなく「その」宗教を選んだのか、私には選択の理由が解らなかった。

え~と、「なし」じゃ駄目だったわけですか?なんて。
それじゃあ馬鹿っぽすぎる。。。?

信仰を否定するわけじゃないです。

ただ、どこかの「教義」に従わなくてはいけないこと、ただ一人の神を信じなくてはならないことが、私には不自由に感じられただけの話なのだけど。

この感覚は、やっぱりキリスト教文化に生きていない人間独特のものなんだろうな、とも思いますが。


もちろん、否定的な要因ばかりを探しているわけではないです。

私の尊敬するマザーテレサのように、宗教の最も美しい部分を、その行動と生き様によってみせてくれた偉大な人たちもいます。

神あればこそ。

信仰という、本当の意味を体現するならば、あのようにすべての人が生きられるはずなのではないでしょうか。

行動の伴わない信仰は、祈りのない信仰は虚しいと思う。

宗教のいうところの「愛」を、私は信じるけれど、それを目の当たりにさせてくれる人が、残念ながら、余りいないような気がするのです。

自分だって、どうやったって、あんな境地にはたどり着けない。

宗教をもたないのならば、どだい無理ってことなのでしょうか?


でも、日本には日本の神様がいるわけだし。。。


と、ひょんなことから日本の神社やら神様やらのことを勉強し始めて、それに2012年の噂(?)や、諸々の出来事があり、、、

そしてそして、やはり結局たどり着いたのが、世界で最もポピュラーな宗教、「キリスト教」だった。。。


「神」はどこにいて、
「神の子」である、イエスキリストは何と言ったのですか?


これがはっきりすれば、だいたい宗教戦争なんて、起きなかったはず。

私ごときのド素人に、解るはずのことではないというのも承知の上で。


だけど、なんとなく、自分なりの答えに近づいてきてはいる気がするのです。

やっぱり、私たちは本当は幸せになるために生まれてきたんだという、そこだけは信じたいし、そうじゃなければ嘘だと思う。

そう生きるためには、どうすればいいのか?

誰かがきっと、本当の事を教えてくれているはずなのでは?


・・・あちらこちらと寄り道してみました。
そんな中から出て来たのが、歴史の中で消えていったキリスト教の流れを汲む宗教。

異端といわれて切り捨てられたキリスト教の教派の中にも、真実(らしきもの)を語っているものがあるみたいだ。。。


グノーシス派の教えとか。。。
トマスの福音書とか。。。
テンプル騎士団(う〜ん、ダヴィンチコードを見直しか、、、)


さらにはキリスト教と日本の神社の繋がりとか。。。


自分の中で、そうか、と腑に落ちる事が沢山あって、オカルトだとかいう括りでは片付けられない、隠された真実がそこにはあると、今はほぼ確信しています。

まだまだ奥が深く、ほんの入り口に立ったばかりなのかもしれませんが。


ただ、今の世界の状況を冷静に見つめると、決してすべてが良い方向に向かっているとは思えません。

世界が終焉に向かっている・・・

なんて、そんな表現だってもしかしたら大げさではないのかも?

だから、聖書で語られていることが、単なる寓話ではなく、真実の話であるとすれば(そうじゃなければ、キリスト教を信じる人たちは何を信じているというのでしょうか?)、今の私たちの状況を、もっと深刻に考えなくてはいけないということですよね?

イエスはそれを現代の私たちに伝えているのではないのでしょうか?

既存の宗教は、それを純粋には伝えていない、伝えきれていないのでは。

だって、絶対おかしい!

宗教によって人が傷つけ合うようなことが、許される訳がない!はずですよね?


私は決して未来を悲観しているわけではないけれど、

何もしないでいては、世界は何も変わらない、または、事態はより一層悪くなっていく、ということは否定できないと感じるのです。

だからこそ、人が「神」というものを信じ、その本当の教えを知る、ということが、とても大事な事なのだと。。。
(でも決して、まやかしの「神」に惑わされずに!)



世界中の人たちすべてが、戦争や、飢えや、差別のない、自由で幸福な人生を生きるために必要な教えが、本当の宗教の中にあるはずだということを、疑わないでいたいと思っています。

イエスの教えの中にある言葉のひとつ。

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」


今までは「そんなことありえない」と思っていたけれど、

今の世の中にこそ、この言葉の真意が伝わらなければならないのでは。


自分はこれから先も、何かの「宗教」に属することはないと思うけれど、世界の人が普通に、幸せに生きられる世の中になるために、自分にできる何かを探す事だけは諦めないでいたいと思うのです。

そのためにはまず、結局のところ、自分自身が幸せでなくては、なんですけどね。


人生とは、終わる事のない学びなのだなと、改めて。
by kamakuraecolife | 2011-02-26 00:08 | 日々・・・
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