数日前、子供と電車に乗っていたとき、娘が唐突に話し始めた。 娘 「電車には、見えない人達が座っていて、みんな知らないでその人たちの上に座ってるんだよ。」 私 「え?」 突然のことだったので、思わず返答に困ったけれど、なるべく平静を装って、 私 「ふ~ん、そうなんだ。その透明な人達が見えるってこと?」と聞き返す。 娘 「ううん、私は見えないよ。○○(クラスでの一番の仲良しの女の子)が教えてくれたの。」 内心、よかった、娘が見えるってわけじゃないんだ、と安心。 私 「そっか、○○にはその透明な人達が見えるんだ~。」 娘 「そうそう。おうちでかくれんぼしても、透明だから、なかなか見つけられないんだって。」 娘 「ほかの人には見えないんだって。○○だけが見えるんだって。」 娘がそのことについてどう思うのか、聞いてみればよかった、とも後で思ったけれど、きっと、 「私はね、妖精とか、エンジェルみたことあるんだよ~。」 と、きっと話がそっちに行ってしまいそうだ・・・(娘の場合はストーリーの創作だから・・・) 子供の中には、いや、大人も含めてだけれど、他の人には見えないものが見える人達がいる。 今までも何人かそういう子供や大人に会ったことあるけど、面白い事に、みんな、それぞれ見えているものが大なり小なり違っている、ということ。 私は、目に見えないラジオの電波と同じで、それぞれの人のアンテナが、違う周波数をキャッチしているからだと理解しているけれど、それくらい、多重な次元が存在している、ということなんだろうなと。 多次元世界なんて言われたりするけれど、大多数の人はいわゆる、この現実、三次元の世界を見る視力しかない。 普通の生活をするには、一番便利なフォーカスの仕方ではある。 江原さんとかもそうだけれど、きっと、現実以外の層が見えてる人の中には、大変な思いをしている人もたくさんいるんだろう。実際、そいういう話も聞く。 以前、六本木で仕事をしていた頃、スタッフの一人がいわゆるそういう男の子で、近くに青山墓地があるため、しょっちゅう具合が悪い、と言っていた。 しまいには、電車に乗ってこちらへ向かうと、意識が無くなるほど眠くなってしまう、と言って、何度も遅刻してくるようになってしまったので・・・ 本当に可哀想だ、と思いながらも、少人数でやっているお店では、毎度の遅刻や突然の欠勤は、営業出来るかどうかにかかわるものすごい痛手なので、辞めてもらったことがある・・・。 もちろん、それだけが理由ではなかったけれど、その点では、可哀想だな、と、同情していた。 本人は本当に大変そうだったから。 私は、その同じビルで、時には深夜までたった一人で残業しなくてはいけないことがあったけれど、空っぽのビルの中にいても、何も見えなかった。 見えてたら、仕事にならなかっただろう。 内心、「あの子、ここに色々いる、って言ってたよな~。」と、気味悪く思いながらも、とにかく仕事を終わらせなきゃいけなかったので、見えない自分の能力(?)を、その時は有り難く思っていた。 そんな自分も、今まで、「あれは一体なんだったんだ?」と思うような経験をしたことはある。 一番印象的だったのは、長崎で学生をしていた頃。 下校中のこと。 向こう側から歩いてくる人の中に、不思議な人が混ざっていたのだ。。。 子供くらいの身長で、ふにゃふにゃと歩いているのだけれど、手足が棒のように細くて・・・ 確か帽子をかぶっていたのか、顔はよく見えなかったのだけれど、全部が、紐のように細い人。 一瞬、え!と思ったのだけれど、まずは理性が、 「ひょっとしたら、何かの病気の人かもしれないから、ジロジロ見ちゃ失礼!」と判断し、 何事も無かったように、その人を目の端でとらえながら、すれ違った。 振り返りたい気持ちを抑えながら通り過ぎたのだけれど・・・ 後になって思ったのが、私以外の誰も、というか、私と同じように、他の誰もが、彼のことを見ていなかった、という不自然さ。 通りの反対側、彼の前後、数人の人が歩いていたけれど、誰も、何も見えないかのように、彼のことを気にもとめてなかった、ということ。 せめて、チラリ、とでも反応した人がいれば、私ももう少し現実として受け止めることができたかもしれなかったのだけれど・・・ 本当に、「彼」はあの場に存在したのだろうか?? それとも、一瞬、どこか違う次元の人が迷い込んでいた?? 大人になって、その事を友人に話していたら、なんと、 「私も見た!」 という人がいたのだ。 彼女も、時折、不思議な経験をするタイプの人だったけれど、私の見た「彼」と、その風貌が話の上ではぴったり一致するのだ。 彼女は関東の人だから、同一人物の目撃とは思えないし・・・ そして、どうやら、ネット上で「ヒモ人間」と呼ばれて、目撃例があげられているのだ・・・と。 (私は未確認ですが。) 未だに「彼」については謎なんだけれど、彼女が見たシチュエーションも、もし、それが病気や特定の症状の人だとしたら、ありえない状況だったというし、私が見た「彼」も、あのヒモのような細い手足で、誰の補助もなく、一人で街中を歩くということが可能なのかどうか・・・わからない・・・ (もしも、そういう症状の方がいらしゃったら、ごめんなさい。でも、骨の細さよりはるかに細い手足、そして極細の体で、たった一人で外を歩けるということが可能なのか・・・) このことは未だよくわからないことの一つ。 他にも、夢日記にまつわる不思議な出会いなんかもあったけれど、私の場合は実際に「見る」ということは、ほとんど無い。 だけど、見えないからといって、見える人の「見る」ものが存在しないとは言えない。 「○○ちゃん」の見ている「透明な人たち」は、きっとどこかの場所に存在するものなんだと思う。 もともと、人は、3次元的な目には見えないものを見る「能力」(霊的視力?)を、持っていたはずなんだと、私は思ってる。 一部の人は、その感覚を今でも持ち続けているんだろう。 そもそも、ラジオ電波だって、無線電波だって見えないし。 赤外線も紫外線も。 空気だって。 私たちが神社で手を合わせている神様だって。 だけど、自分に見えないものは「存在しない」と言い切る人がいるのも事実。 そして、その「見えないものを見る人」を否定する人がいるのも事実。 いやもちろん、中にはそういう事を利用して、お金に結びつけようとする人がいないわけではない・・・(そういう人にはのちのちバチが当たるよ!) 色んな人がいていいじゃない。 見えないからといって、「無い」と言い切れることの方が、自分には驚きなんだ。 そんなの単なる想像? いや、その想像力こそ、欠けてる・・・特に大人・・・が多い。 だから世の中、なんだかな、と思う事がたくさんある。 人の心の中や、感情、思いも、目には見えないものだけど、想像してみることはできる。 社会の事件や何やらを見ていると、この「想像力の欠如」が決定的な要因のように思える事がよくある。 どうか、子供たちには、この「想像力」だけは失わずに大人になって欲しい。 「自分がこう言われたらどう思うだろう。」 「自分がこうされたらどう感じるだろう。」 そうすれば、いじめや、虐待も減るんじゃないかと思うんだけれど。 世の中そんなに単純じゃあないかもしれない。 だけど、せめて、子供たちが想像できる、最大限の「楽しいこと」「幸せなこと」が、大人の「想像力のなさ」によって打ち砕かれる事のない社会であるように・・・ (いや、すでにそうなってしまっているけれど。) 大人になる過程で捨ててしまった心の光を、広い集めていかなくてはいけない時代なのかもしれない。 大変な時こそ。 透明な人が見えなくても、透明な人が見える子供の心を想像できる大人でありたいなぁと・・・
by kamakuraecolife
| 2013-03-28 03:08
| スピリチュある?
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